【お知らせ】統一地方選挙には、立候補しないことをご報告いたします。

こんにちは。
北村ななみです。

昨日4月8日(月)、臨時議会がありました。
議会の最後に、私は、今回の議員選挙に立候補しないことをご報告させていただきました。
既にご報告させていただいている方もおられますが、まだご挨拶に伺えていない方もいます。
直接お会いできる方には、改めて直接ご挨拶に伺い、不出馬の報告をさせていただくつもりです。

不出馬の理由は、下記のとおりです。
この4年間を振り返ると、当初考えていたことができなかったことのほうが多いと考えておりますが、これからも「地域活性化」については、現場に身をおいて考え続けていきたいと思います。


新宮市の皆様へ

私、北村ななみは、今回の統一地方選挙に出馬しないことをご報告いたします。
1期目に期待し応援してくださった皆様、2期目に対し応援の声をいただいた皆様には、続けてのご期待に添えられず申し訳ありません。

実は2年ほど前から体調を崩しており、通院しながら議員活動をしておりました。
体調は回復傾向にありますが、次期4年間を考えたとき、続けていくには万全の状態ではないと判断いたしました。
しばらくは療養し、再度活動を続けていけるよう、体調を整えてまいりたいと思います。

私が1期目に出馬するのを決めたのは、新宮市に来てからお会いした女性の皆様の声を行政や議会に届けたい、という気持ちがあったからでした。
その理由は、地方の社会を変化させていくためには、女性の声を行政や議会に届け、女性の置かれている社会構造を変えることが必要だと考えていたからです。
しかし、この4年間、そういった声を行政や議会に反映させるという活動は、十分にできませんでした。

議員になってからのおよそ3年半は、市の一大プロジェクトでもある文化複合施設建設、また、途中で出土した新宮城下町遺跡の保存といった課題に、活動時間を大きく割きました。
なぜなら、文化複合施設建設には、財政的観点、市政運営の観点から、多くの課題があったからです。
この課題を先に解決しないことには、女性や子どもの声を届けても、財政的な負担を理由に、市に要望する女性や子どもの声を反映した政策が、十分に行ってもらえなくなるリスクがあると考えました。
そのため、文化複合施設関連の課題を率先して解決すべき事項に掲げ、活動に専念してしまいました。

1期目出馬の際に掲げた、「パパ・ママ・子どものために」という私自身の政策目標を実現できなかった反省はあります。
しかし、1期目に掲げたこのテーマは、地域活性化を考える中で、10年近く考え続けてきた私の本来的なテーマですので、議員という立場は離れても研究は続けてまいりますし、折を見て情報発信等も行っていくつもりです。

議員という立場を経験し、改めて地域活性化を考えますと、「政治」がより皆様の身近なものにならなくてはいけないという思いが強くなりました。
私自身、この4年間では十分な情報発信や議会・行政の仕事を理解していただく機会を持てたとはいい難い面もあります。
けれども、私たちの暮らしがどのようになればもっと暮らしやすくなるのか、どのような市政になれば私たちの抱えている「生きにくさ」が減らせるのか、それを考え、整備していくのが政治の役割です。

そのためにはより多くの方々に、政治について知っていただかねばなりません。
今後、折を見て議会見学会や市政についての勉強会を行ったり、個別に活動報告のお便り等も発行していければと考えておりますので、もしお見かけの際はお気軽にご参加いただければ幸いです。

最後に、4年間様々な見識を広げ、議会活動を行ってこれたのは、初めに議会へと送り出してくださった皆様のお力添えがあったからに他なりません。
本当にありがとうございました。


昨日の臨時議会では、「文化複合施設建設に向けた建築等の本契約」の議決がありました。
その議決については、別途、報告させていただきます。

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【お知らせ】本日3月8日(金)10時~、「住民投票条例の制定について」審議が行われます。

こんばんは。
北村ななみです。

3月定例会が3月5日(火)から始まっておりますが、表題の通り、本日3月8日(金)10時~、新宮市役所6階の議場にて、「住民投票条例の制定について」の審議が行われます。
この住民投票条例は、「新宮市文化複合施設整備計画における63億円を超える事業費支出の是非を問う」ものです。

新宮市では、住民投票を行うために、法で定められた数以上の署名と共に、住民投票を行う条例を制定する旨の請求を市に対して行わなければなりません。
今回の条例制定請求では、その署名が法定数の約500名を大きく上回り、有効署名数2,294名が集められました。

既に、2月の臨時議会で文化複合施設建設に対する建設費は可決されておりますが、そのことと住民投票を行う条例の提出はまた別途考えるべきものです。
住民投票の請求が行われる背景には、市民の中に、現状の市政運営に対する危機感があるのではないでしょうか。
その危機感を真摯に受け止め、しっかりと審議しなければなりません。

市側から、市民の方が作成された住民投票条例案について問題点の指摘もなされていますが、その点が本当に問題となるのかについても、質疑において明らかにしなければなりません。

ライブ中継もありますが、お時間の都合がつく方はぜひ、議場で傍聴いただければと思います。

【新宮市議会の課題②】市当局と議会との信頼関係のなさを議論を通じて改善すべきである。

こんばんは。
北村ななみです。

前回に続き、【新宮市議会の課題②】として、私が今後改善していくべきだと考えている課題について書いてみます。

タイトルにもある通り、新宮市議会の課題として二つ目に考えられることが、「市当局と議会との信頼関係のなさを改善」することです。
なぜかと言うと、結論から先に書きますが、この信頼関係のなさを改善しないことには、市政運営における市民の方からの信頼も取り戻せず、それが引いては、新宮市の衰退につながると考えているからです。

まず、「市当局と議会との信頼関係のなさ」について、なぜ、そのような問題意識を持つのかについて書きます。
もともと、議会に入ったときから感じていましたが、先日の臨時議会を経て、改めて、「現在の市当局と新宮市議会との間には信頼関係がない」と感じました。
こう思う要因が、結局は「市当局が、議会に対して必要な説明を必要な時期にしていない」というこれまでの一連の経緯です。
特に、文化複合施設建設において、1棟案にする際の基本設計図面の公表が遅れたこと、国からの交付金上限金額引き下げの打診を公表していなかったことなどは、市民の方の記憶にも強く残っているのではないでしょうか。
もちろん、財政的な負担の見通し、実質的に維持管理費が1.5億円となるのか、といったことも説明が不足し、公表の時期が遅れたことは今更指摘するまでもありません。

今提示した事項は、本来であれば議会に速やかに公表し、議会での議論を経て、しっかりと市民の方にもお示しすべきだったものです。
けれども、そういった行程が飛ばされてしまっている。
これがなぜなのか、という事を考えたときに、市当局と議会との間に「信頼関係がない」ことが原因ではないかと思うに至りました。

私の体感で考えたことですが、市当局は、市が建設を進めたい文化複合施設について、議論の中でこれ以上案を揉まれることを避けたかったのではないかと思っています。
その根本的な考えとしては、「議論になることを避けたい」というものだったのではないでしょうか。
議論になれば、どういった意見が出てくるかわかりません。
交付金の上限金額が引き下げられたことを早いうちから公表していれば、それなら、施設は1棟案でなくてもいいのではないか、場所の選定や、施設のあり方から考え直したほうがいいのではないか、といった意見も出てくるであろうことは予想されます。
そういった、「議論」になることを避けたかったのではないかと考えています。
しかし、その「議論を避ける」ために「必要な説明を必要な時期にしていない」ことが、「当局の説明責任」を全うできないことにつながっており、それが市民の方からの行政不信を強化しているように私には感じられます。

けれども、そうした「当局の説明責任を全うできない」要因となっているのは、行政の手腕や能力だけではない、と私は考えています。
では他にどのような要因があるかと言うと、議会が行政の説明を受ける態度にも要因がある、と私は考えています。

現在の議会は、行政に対し、過度に批判的か、過度に肯定的かのどちらかに二分されてしまっていると私は感じています。
是々非々、という言葉はよく使われますが、この言葉が有効に機能しているとは思いません。
行政に対して、厳しい態度で政策や今後の見通しについて追求することも必要です。
しかし、その姿勢が行政の説明責任を全うさせるために有効に機能するのではなく、市が説明を避けるべきだと判断してしまっている、市の行動を萎縮させる方向に働いてしまっているのではないか、というのが私が危惧しているところです。
そして一方ではそのように厳しすぎる態度があるものの、一方では「行政がやることなんだからやるべきだ」という、理論的な根拠がどこにあるかもわからない状態で行政のしようとすることを全肯定してしまう態度もまた存在します。
その結果、過度に厳しいことを言われる部分に対しては萎縮し、一方で市の行うことを全て受け入れてくれるような態度も存在しているため、行政としては説明すべき部分を丁寧に説明する行動に出ずに、市の考えている方向性を押し通そうという行動に出てしまう。
このような状態を、議会も自ら作り出してしまっているのではないかと考えています。

これが果たして、望ましい状況なのかといえば、全くそうではありません。
本来であれば、説明すべき事項はすべて説明し、議論する材料をすべてテーブルの上に出した状態で、そこから議論を積み重ねて結論を模索していくべきです。
また、それら一連の過程は、市民の方にも分かる形で適時公表されなければなりません。

議論における必要な情報が十分用意されていないことと、適切な議論の過程が経られないこと、議論の過程が市民の方に伝わるように公表できていないことが問題ですから、そこを改善していかなければなりません。
そのための第一歩として、私がより根本的に改善すべきだと考えている課題が、タイトルにもある通り、「市当局と議会との信頼関係のなさを改善」することなのです。

そのために、議会は行政の説明や考えていることに対して、もっとフラットな態度で聞くことが望ましいと考えています。
はじめから賛成・反対、ということではなく、本来の意味での是々非々を実践することが必要です。
また、議論を行うに当たって、前回のブログでも書きましたが、市当局と議会の間でも、どのようなゴール設定を行うか、議論に必要な情報は何か、どの情報を扱うべきか、といった課題設定を議論を通じて探っていくべきだと考えます。
それがひいては市民の方との合意形成にも至る道であり、そのような丁寧な議論を行う土壌を議会側も市に提示していかなければ、今後も、行政の説明は期待したほどにはなされず、再び新たな不信感が市や議会に対しても募るだけです。

市当局と議会における、両者の不信感は根強いものだと感じています。
議会に入ったときから感じていたこの不信感の根強さは、4年たった今、さらに強まっていると感じています

この状態を改善することなしに、行政の説明責任は果たしきれず、結果的に議会や市民が期待する「説明」は行われず、行政に対して納得感や信頼感を持って私達の生活を任せる、という行為は難しくなってしまいます。
その困難さが、結局は「新宮市での生活しにくさ」、「住みにくさ」につながってしまえば、より住みやすい場所を求めて転出することによる人口流出は避けられません。
そういったシナリオが予見されるために、私はこの現状に強い危惧を覚えます。

今回、市が適切な説明を説明すべき時機に行えていないのは、「市当局と議会との信頼関係のなさ」を原因と考えたのは、両者の信頼関係がもっときちんと構築できていれば、当局側ももっと安心して、議論のための情報提供を行うはずではないか、と考えたからです。
前回の課題意識とも繋がりますが、現在では、市当局も「議論を厭う」姿勢があるように感じています。
現状、市の姿勢は、何か意見を言われることを避け、議論を前に進めるための批判と非難の違いも不明瞭なまま受け止めてしまう状態になっている、と捉えています。
この点を改善するために、前回も少し書きましたが、まずは議会と当局とが丁寧な議論を行うことが重要です。
その議論の蓄積の上に、両者の信頼関係を回復し、市民の方からも「この人たちに任せておこう」、「とはいえ、チェックすべき部分はチェックしよう」というフラットな意識を持っていただくことが望ましいと考えています。

議論をすることは、時間もかかりますし、根気もいります。
けれども、議会は議論を通じて、最終的には市民の方のある程度の納得感を持ってもらい、「合意形成」を行うことにその機能と制度の大きな意味があるのではないでしょうか
議論ができない議会など、その機能を全うできているとはとても言えません。

本来出すべき情報を出してもらうために、試行錯誤しなければならないこの現状は、気持ちとしては憂いしかありません。
けれども、現状を変えていかなければ「市民にしっかりと情報公開する行政・議会」という、今後期待する行政・議会のあり方に持っていくのは難しいです。

両者の信頼関係の回復や、根拠を持った議論を行うことを常態化するのは、一朝一夕にはできません。
けれども、その必要性を折りに触れ言っていくことは必要です。
その注意喚起がなければ、このままの現状をずっと続けていくことにもなりかねません。
長い時間がかかることだとは承知していますが、市当局と議会との信頼関係を議論を通じて回復し、お互いに、根拠を持った議論を行い合意形成をするという本来の枠組みに戻せるよう、努力していきます。
その結果として、市民の方に納得感、信頼感を持って、市と議会が決めた結論をお伝えしていく、という状態に持っていきたいです。


明日、3月5日(火)10時から、新宮市議会の3月定例会が始まります。
住民投票条例や、来年度の新予算案などの議案が上程される予定です。
お時間の都合がつく方は、ぜひまた傍聴にお越しいただければ幸いです。

【新宮市議会の課題①】議論ができない現状に変化を起こすべきである。1-2

①の続きです。


続いて、②について書きます。
「質疑打ち切りの動議」については、新宮市議会会議規則第57条第2項で「質疑または討論が続出して容易に終結しないときは、議員は、質疑又は討論終結の動議を提出することができる」と決められています。
今回の質疑打ち切りも、この規則を元に提案されたものです。
動議は、賛成議員が一人いれば成立し、その後起立によって採決となります。
採決の結果、賛成が多ければ提案通り「質疑は打ち切り」、反対が多ければ「質疑は打ち切りにしない」となりますが、今回の臨時議会の場合は前者でした。

②については、規則に基づいてその運用がなされたわけですが、それが結果的に妥当であったかどうかは評価せねばなりません。
私は、妥当ではなかったと考えていますし、だからこそ動議にも反対しました。

質疑打ち切りの動議について、”私が現状の議会運営において最も課題だと考えているのがこの出来事に集約されて”いると上でも述べたように考えているのはなぜか、ということについて書きます。
①、②とも関連する課題意識なのですが、結局、ここに現れているものは「議論を厭う」意識であるといえます。
新宮市議会においては、議論を行うこと、それ自体が敬遠されている、というのが私の体験上、強く感じる意識です。

こう考える元となるのは、議会に入った当初より言われ続けてきたことですが、まだ発言が途中であるにもかかわらず「もう、(発言は)ええかげんにせえ」と発言を止められたことが何度もあるという体験です。
これはもちろん、私の話が再三「長い」と指摘されるように、前置きや一文が長いことにも原因はあるでしょう。
しかし、議論が長引きそうであれば「まだ質問あるんか」と尋ねられることは、私ばかりが特に言われているわけではありませんし、他の方でも言われている人はいます。
ですので、そこを改善したとしても、結局は「重箱の隅をつつく」ような質問や質疑は敬遠されるというその意識に、本質的な課題があるのだろうと考えています。
質問や質疑は「重箱の隅をつつく」ための行為ではありませんし、そういった狙いで行うものでもありません。
けれど、これまでの議会内での経験では、少しでも細部にわたる話や議論が長引きそうな話を始めると、それが「重箱の隅をつつく」ような行為だと察知され、すぐにストップがかかるような状態が維持されていると認識しています。

結局、新宮市議会における本質的な課題としては、「議論を厭う」姿勢により「十分な議論を尽くす」ことが難しいことが挙げられます。
それが、先の「質疑打ち切りの動議」に現れているのです。

もちろん、それぞれに議員となる背景は違うので、個々の思想や考え方に違いがあるのは当然です。
しかし、それとは別に、議論の手法は統一させておかなければ効率的な疑似運営や議論を行うことはやはり難しいです。
現状の新宮市議会では、効率的な「議論の手法」についての統一見解は確立されておらず、また、研究もされていません。
私は、ここが今後改善していくべき課題である
と考えます。

より具体的なことを言えば、
・是々非々で議論に望む
・前提条件を洗い出し、互いの共通認識・共通理解を形成しながら議論を前進させる
・安易な二分法に流れない

という議論の手法や前提が、全員に浸透しているとはいい難い状況が課題であり、そこが、今後改善していくべき部分でしょう。
また、そもそも結論が決まっていない議論には時間がかかるものだ、という前提を浸透させることも必要かもしれません。

とはいえ、最終的な目標は、議会内でも根拠を持った資料に基づく議論を通じてある程度の合意形成を行うこと、当局と議会においても、根拠を持った資料に基づく議論を通じて合意形成を行うことです。
この目標設定とその達成がなければ、市の説明責任はいつまでも全うされず、いたずらに議論を広げて時間を消費するのみです。
(現状、そんなこともできてないのか!?とお叱りになる方もおられるかもしれませんが、まずは現状のご認識をということであえて率直に書いています。)

ですので、上記目標を達成するために、取り入れるべき手法は以下の3点だと考えます。
1)合意形成のゴールをどこに設定するか、議論を通じて自分たちで決定する
2)共通認識として持っておくべき前提知識や情報の共有と理解を徹底する
3)議論の過程で結論を構築していくことに慣れる

という、至極当たり前のことを実践していくことが重要です。

なぜなら、これまでの新宮市議会の議事運営では、こういった手法、こういった議論の過程が取られたことは私の記憶にある限り一度もなく、それを放置していた結果が、最終的に臨時議会において改めて課題として浮き彫りになったからです。

結論ありきで進められることや、説明や資料提出が不十分といった市政運営を避けるためにも、今後の議会運営においては、効率的な議事運営が求められることは必至です。
そして、効率的・建設的な議論の手法について、議会としての統一見解を持つことに向けては、議会における「議員間討議」を導入し、充実させること、その過程が遠回りなようで、それら手法を浸透させる近道であると私は考えます。

最終的には、議会内でそれぞれの議員同士が納得感のある議論を経て合意形成が行えたか、また当局と議会においても、納得感のある議論を経て合意形成が行えたか、という観点でそれぞれの議論の過程に評価を下さなければなりません。
この過程を経ないままに行われた、それも根拠のある資料が示されないままに終わってしまった議論は、批判に耐えうる根拠も持たず、それに伴う支出に足るだけの明確な根拠も持っていません。
そのような脆弱な根拠しか持てないにもかかわらず、大規模な財政的支出を行ってしまう点が、新宮市にとって問題なのです。

ですので、結局は「議員同士が議論できる土壌を作る」ことが今後の議会運営において優先されるべき改革事項だと考えますが、その道程は易しくはありません。
とはいえ、議員間討議が意味あるものとなり、本当に議員同士の熟議を経て、当局との合意、最終的にはそれが市民の方との合意につながるような議論を行っていくためにも、これまで述べたような「効率的な議員間討議」ができる土壌を作っていくことは必要です。

そのためには、こういった形でまずは現状の議会運営において何が問題であるかを提起し、それについて議論する機会を持たねばなりません。
今後しばらくは、現在の新宮市政において私が課題だと考えていることをそれぞれ書いていくつもりです。

【新宮市議会の課題①】議論ができない現状に変化を起こすべきである。1-1

こんにちは。
北村ななみです。

先日、臨時議会についての振り返りも兼ねて、「文化複合施設建設」の議論で私が残された課題だと考えたことをブログで書きました。
今回は、なぜそういった課題が生まれてしまうのか、考えたことを書いてみます。
端的に言いますと、「議会運営」の話になります。


最終的に、「質疑打ち切りの動議」が出されて終結となった2月臨時議会でしたが、私が現状の議会運営において最も課題だと考えているのがこの出来事に集約されています。
「質疑打ち切りの動議」とは、議員が当局に対して行う「質疑(議案について疑問点を尋ねること)」をもう止めてください、という意思表示として出される議員からの提案です。

この臨時議会の一連の経緯を見ておられた市民の方からは、
 ①なぜ、一度も発言をしない議員がいるのか。
 ②なぜ、議会はこのような流れ(質疑打ち切り等)を許しているのか。

という主に2つのご意見がありました。

まず、①について書きます。
実は、現状の新宮市議会の議会運営において、「議員同士の議論」(これを議員間討議といいます)は、行われることが想定されていません。
議員ができるのは「質問」と「質疑」で、どちらも市当局に対して行うものです。
この「議員間討議」、新宮市では制度として導入されていません。
ですので、「議員同士の議論」を行おうとすれば、「議員間討議」の導入を図らねばなりません。
他自治体では「議員間討議」の導入を行っているところもあります。
新宮市でも、その導入を進めることは必要です。

ただし、新宮市議会では、特にこれは文複特別委員会で顕著な事例ですが、「委員のみが出席する委員会」は幾度か行われました。
この委員会中で、当局に質問するのではなく、委員となった議員同士で考えを述べ合う場は用意され、実質的に「議員同士の議論」を行う機会は保たれました。
ただし、それでは、そのような「委員のみが出席する委員会」が持たれているので「議員同士の議論」としての場は十分に用意されているか、といえばその答えはノーです。
委員会だけではなく、本会議中でも委員会付託(※1)を行わない議論であれば、十分に議員同士の議論も行う時間をとるべきです。

さて、現実として、新宮市議会に「議員同士が議論する場」は制度上は担保されていません
ですので、当局からの議案提案を受け、議員が本会議や委員会で行えるのは「当局への質疑」のみである現状からすると、例えば、当局の提案する議案に対し、はじめから賛成か反対かを決めていると仮定すれば、本会議場で今更その議案について質問する事項は特に無かったかもしれない、と考えられます。
また、質疑や質問は、同僚の議員に対して問いを発する場ではないので、議員がなぜその議案について賛成なのか、反対なのかという考えは、最終的に「討論」までわかりません。

①について、議会運営の制度上、議員同士で議論し合う場は提供されていないし、そのような時間も本会議中には取られない。
賛成・反対の意思が既に固まっているとすれば、当局に対し何らかの質疑をあえて行う必要性はないと考える事もできる。
よって、質問はしなくても良いと考えたのではないか、というのが、私の①に対する結論です。

一般的な考え方からすると、「どうしてそうなる?」と疑問に思われることもありますが、そこには議会特有の事情や法的根拠が背景にあります。
そして、その”特有の事情”が問題であると考えるならば、背後にある仕組を変えていかねばなりません。
何事も、変化を起こしていくためには、まずは何が問題なのかを適切に認識することが必要です。
そうしてから、様々な人の意見を聞いて、議論を重ねて結論を出していくべきというのが私の考えです。

まずは、議場での発言にはそれぞれ法や規則による根拠があって、発言ができるのだという背景を踏まえて、どのような変化を起こすべきかの検討が必要でしょう。
とはいえ、既に必要なこととしては、私はより活発に議員同士の意見交換を行うため、「議員間討議」の導入を図っていくべきだと考えています。

ちなみに、①の課題点として、「市に対して多角的な視点からの指摘が行えない」ことも挙げられます。
発言する議員が多くなれば、それだけ当局の説明に対して様々な視点から検討を行うことができます。
けれども、議員の発言者が少なければそれは達成できません。
多数の議員がいるということは、それだけ多くの違った視点・様々な角度からの考えや意見を持つ市民の声を代弁できるということですが、それが現状では反映しきれていない、ということも問題です。

②に続きます。
【新宮市議会の課題①】議論ができない現状に変化を起こすべきである。1-2

注)
※1 委員会付託…… 議会は、いわゆる議場で行う「本会議」だけでなく、「委員会」という議論の場も持っています。新宮市では「総務建設委員会」と「教育民生委員会」の2つがありますが、議員は必ずこのどちらかの委員会には所属しなければなりません。この「委員会」で、より深く議案に対して検討や議論を行うのですが、本会議に提出された議案をこれら委員会にバトンタッチすることを「委員会付託」と言います。
委員会付託を行わないことを「委員会付託の省略」と言い、本会議の議論のみで、結論を出して議決します。

【文化複合施設】臨時議会の議論を経て、未だに残された問題だと私が考える点③

②の続きです。


3)議会が議論に必要とするときに、必要な情報を当局が示せなかった。
2)の結論とも重なりますが、結局、臨時議会の議論が4日間にまで長引いたのは、議会が議論の前提としていた市の説明や根拠が、総崩れになってしまったからです。

その原因が、表題にも示しているとおり、「議会が議論に必要とするときに、必要な情報を当局が示せなかった」点です。
例えば、1月29日の議員説明会の席上で、議会側は、初めて「国からの交付金の上限額が、1施設あたり30億円から21億円に引き下げられていた」ことを知りました。
これは、これまで議会が文複特別委員会で行ってきた約3年以上の議論の根底を全く覆すものです。
議論の根底が崩れてしまったのに、従来想定していた足場から議論を行うことなどできるでしょうか。
その前提を新たに組み込まなければ議論などできません。

そして、こういったことが、臨時議会中には何度も起こりました。
市が交付金の計算に使用していた施設の平米単価がなぜ一度受けた説明と違うのか。
維持管理費が、臨時議会での答弁と、住民説明会で違うのはなぜか。
さらには、もともと見せないと言われていた資料が後出しで徐々に出されること。
このように、所々で新たな事情が明らかになっていては、根拠を持って積み上げる議論などできません。

根拠を持って積み上げる議論が時間内にできない、ということは、本来必要な議論の過程を経ず、あやふやな部分を残したままになってしまうということです。
市が適切な時機に、適切な情報を議会に提示できない、つまり、議会が議論に必要とするときに、必要な情報を当局が示せないことは、こういう問題を引き起こします。
そして、今臨時議会では、根拠を持って積み上げる議論ができずにあやふやな部分を残したまま、質疑打ち切りとなり、そのまま議決に進んでしまいました。
これら一連の流れ自体が、大きな問題です。


以上、大きく分ければ3点が、私が問題だと考えた点です。
これ以外にも、本来であればもっと議論すべき問題点は多々あります。

しかし、今回の臨時議会で、将来50年にわたって使われ続けていくであろう文化複合施設の建設がほぼ決まりました。

こういった施設の建設は、市民の方が、最終的には良いものを作ってくれた、使って日々の生活が良くなった、ということを実感してもらうことが重要です。
そのため、施設建設に踏み出す際には、そういう将来への期待感を持って、多くの市民から応援してもらえるように市民と歩調を合わせながらスタートを切っていくべきでした。
けれど、そういう「納得感」を市民の方々に持ってもらいながら、文化複合施設建設のスタートを切ったとは言えません。

市民生活や、将来の市政運営を考えるのであれば、市の財政負担がどうなるのか、また、本当に50年後も文化複合施設は使われ続けるのか、という将来の社会情勢や個人の嗜好の変化も合わせて予測し、議論に組み込んでいくべきでした。
それにもかかわらず、施設建設に進むに当たって、必要な議論を根拠を持って積み上げることもできず、市民の方への説明も不十分であると再三指摘される現状は残されたままです。

今回のように、複合施設建設にあたって、市民の方にとって必要な情報が示されていないにもかかわらず、建設だけを先に進めようとする当局の姿勢、それでは、市民にとって使いやすく、完成を喜んでもらう施設を作ることには繋がりません。
そのような過程を目の当たりにしているからこそ、施設を作るにあたって約63億円もの支出を認め、今後維持管理費を約1.5億円以上も支出していく、ということはやはり認めたくはありません。
ですので、今回の予算案に対して私は反対に票を投じたわけですが、今後はこの施設を建てたことで財政負担が重くならないよう注視していく必要は当然あります。

さらには、今回の臨時議会等をご覧になって、「どういう議会運営をしているんだ」というお叱りのご意見もいただきます。
今後は、どうすればより健全な市政運営ができるのか私なりに考えを示していくとともに、その実現に向けて動いていきます。

【文化複合施設】臨時議会の議論を経て、未だに残された問題だと私が考える点②

①の続きです。


2)将来の市民負担となる、文複に必要な維持管理費はいくらになるのか、という説明が遅すぎた。

文化複合施設を建設すると、年間の維持管理費は、図書館部分の人件費を含めて約1億5800万円だと臨時議会中に、市側と議会側とで共通認識ができました。
しかし、この共通認識がはっきりとできたのは、2月15日の臨時議会中です。
この日は臨時議会の最終日であり、そんな日に共通認識ができるのは遅すぎます。

また、維持管理費で問題なのは、2月11日の住民説明会では、維持管理費が「約1億700万円」と言ったり「約1億3000万円」と言ったり、説明がぶれていた点です。
何より、「維持管理費に人件費を入れるべき」と再三議会側から言っていたにもかかわらず、当局は「入れません」と言い、平成30年4月の特別委員会でも人件費は、新たに増員する分しか計上していませんでした。
そういった経緯があるにもかかわらず、最終的に図書館部分の人件費も含めて「約1億5800万円」だと結論付ける。
これでは、何を根拠に議論をしていけばいいのか、その土台もあやふやになります。
この点は、次の項でも言及します。

維持管理費が約1億5800万円はかかるかもしれない、と言われたことは、文化複合施設の使用されるであろう期間、約50年にわたって、今後、市はそれだけの支出を行うことを実質的に決定した、ということです。
これが約1億円と言われていたら、それは、維持管理費を過小に見積もっていた、ということです。

さらに私が心配するのは、「維持管理費をどのように捻出するのか」という質疑に、市長が答えを持っていなかったことです。
「今後5年間で行財政改革を行う」と言われていましたが、市長の言う「行財政改革」とは一体何を指すのかも最後まで説明がありませんでした。

私は、「行財政改革」と安易に言うことには反対です。
特に新宮市においては、人件費、扶助費(医療や福祉などに使う削れないお金の部分)、公債費(市の借金を返済していくお金。これも削れません)の割合が高く、削れる部分といえば人件費に目が向くでしょう。
しかし、人件費を削るのにもどこかで歯止めはかけなければならないし、それを行うのであれば、住民説明会でも質問のあった「まず、市長や議会が身を切るべきではないか」という問いにきちんと答えなければなりません。
市の命運をかけたプロジェクトであるならば、なおさら住民理解を重視しながら進めなければなりません。
市の財政が厳しいのは、周知の事実です。
その財政的な厳しさを見据えて、文化複合施設という新しい施設を維持管理していくお金をどのように出そうとしているのか。

ここに答えが出なければ、将来的に、他の分野(例えば福祉や教育、道路の整備や補修など、生活に必要な分野だけれども、後回しにされてしまいかねないもの)のお金を削って、施設の維持管理費に当ててしまうことも想像できます。
市民や議会は、維持管理費の捻出のため、他の分野で必要なお金が削られてしまう可能性があるのではないか、という点を心配していたのですが、それに対する明確な回答も得られていません。

これも結局、「将来の市民負担となる、文複に必要な維持管理費はいくらになるのか、という説明が遅すぎた」ことに起因する問題であり、当局は、必要な情報を必要なときにしっかりと明示できていない、というのが私の結論です。

③に続きます。
【文化複合施設】臨時議会の議論を経て、未だに残された問題だと私が考える点③