今日で今年一年が終わりますが、今年はどんな一年だったでしょうか?
改めて去年を振り返ると、「新宮に来てよかった」という気持ちで日々を過ごせており、そのことにとても感謝しています。
「地域活性化に携わりたい」という目標は、高校生のころから変わらない目標ですし、その実現のために様々動いてきたんだなあ、と思っていますが、新宮という場所で、腰を据えて地域に入っていきたい、と思えるようになったのは私にとっては一つの収穫です。
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なぜ、私は「地域活性化」に興味が出たのでしょうか?
それは、「地方で生きる人たちが、毎日をポジティブな気持ちで過ごし、自分の人生に肯定的で、毎日ワクワクしながら生活できること」が地方にとって必要だと思ったからです。
18歳まで地方の片田舎に育った私にとって、地方という環境でそんな生活ができるとはとても思えませんでした。
でも、だからこそその現状は何とか変えなければいけない、と思ったことを思い出します。
その気持ちは、今でも変わっていません。
今の地方に必要なことは、「その場所が好きで、その場所にずっと住んでいきたい」という人たちのために何ができるか?を考え、その手段をきちんと提供していくことだと思います。
そのためには、意味のある議論が必要だし、お互いに異論を認め合い、共存していく考え方が必要だと思います。
また、豊かで楽しい人生を送るための「文化的土壌」がやっぱり地方には必要です。
地方に生まれたからこそ享受できる「まなび」が地方にはあるはずですし、新しい「まなび」を楽しみ、受け入れる土壌を地方に作ることも必要だと思います。
私が地方でやっていきたいことは、「自分の人生の可能性に蓋をしない人を作ること」です。
地方に生まれることはハンディでも何でもないし、都市部に生まれることとは違った可能性を自分の中に育てていけるチャンスだと思います。
ただ、私にとって、地方というのは、なぜか「制限」をかけられることが多かったように記憶しています。
それは地方というものが、都市に比べるとなぜだか劣ったものとしてとらえられていたり、「昔から」の慣習、考え方、きまりごと、といったものをある意味で大切にしすぎている姿勢から発生したものだったかもしれません。
ただ、そんな環境の中で育つことが、自分で自分の可能性に蓋をしてしまうようになってしまう考え方を育ててしまうようにも思えてなりません。
人の行動や考え方は、その人を取り巻く環境にある言葉や振る舞い、行動規範の影響を受けることで育てられていきます。
であれば、もしかして制限をかけなければ自由にのびのびと行動できていたかもしれないその人自身が、周囲からの制限によって自分の思ったように行動できなくなってしまっているかもしれません。
私は、それはとてももったいないことだと思います。
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「地方で生きる人たちが、毎日をポジティブな気持ちで過ごし、自分の人生に肯定的で、毎日ワクワクしながら生活できること」を実現するには、「自分の人生の可能性に蓋をしない人を作ること」が大切だと思います。
それには、子どもの教育環境を整えることだけにとどまらず、大人になっても、何歳からでも学びなおしができたり、大人だからという理由で行動に制限がかかることを減らしていく環境を作っていくことが重要です。
新宮という場所が面白い、と思うのは、そういう環境づくりができそうな可能性が感じられるからです。
来年も、いろいろ動いて、面白いことができるように努力していきたいと思います。
皆様、どうぞよいお年を!