前回の続きです。
(前回:なぜ保育園は、「就労証明書」がないと入っちゃダメなの?【前編】)
さて、なぜ保育園に入るには「就労証明書」がないといけないの?という疑問から出発した今回の記事。
前回の記事で、「保育に欠ける」という状態はどういうものか、というのは理解できました。
が、しかし、なぜその規定があるのか?それがわからない…!というところまでは書きました。
その規定の大前提がどうやら「児童福祉法」という法律であるようです。
児童福祉法第二十四条には、以下のように書いてあります。(ここでは第一項のみ引用、太字は引用者)
第二十四条 市町村は、保護者の労働又は疾病その他の政令で定める基準に従い条例で定める事由により、その監護すべき乳児、幼児又は第三十九条第二項に規定する児童の保育に欠けるところがある場合において、保護者から申込みがあつたときは、それらの児童を保育所において保育しなければならない。ただし、保育に対する需要の増大、児童の数の減少等やむを得ない事由があるときは、家庭的保育事業による保育を行うことその他の適切な保護をしなければならない。
第一項で、”保育に欠ける”場合、保護者からの申し込みがあると、児童を保育所にて保育しなければならない、と書いてあるんですね。
法律にこの文言があるために、「保育に欠ける場合のみ、申し込みをして、保育所を利用しましょう」ということになっているようですね。
さらに、この法律を施行するために作られた法律、「児童福祉法施行令」第二十七条には、どういう状態が「保育に欠けるのか」がしっかりと定められていました。
第二十七条 法第二十四条第一項 の規定による保育の実施は、児童の保護者のいずれもが次の各号のいずれかに該当することにより当該児童を保育することができないと認められる場合であつて、かつ、同居の親族その他の者が当該児童を保育することができないと認められる場合に行うものとする。
一 昼間労働することを常態としていること。
二 妊娠中であるか又は出産後間がないこと。
三 疾病にかかり、若しくは負傷し、又は精神若しくは身体に障害を有していること。
四 同居の親族を常時介護していること。
五 震災、風水害、火災その他の災害の復旧に当たつていること。
六 前各号に類する状態にあること。
一番先に、昼間労働することを常態としていること=昼間働いていること、というのが保育に欠ける状態だと規定されてますね。
こうやって、法律に明記されてるから保育園には「働いている証明」がないと入園できないんだなあ…。
理解できました。
しかし、それとはまた別に、驚いたのが保育の実施のための前提条件。
”同居の親族その他の者が当該児童を保育することができないと認められる場合”とあって、これって今日の核家族はどうしたらいいの…?という疑問が真っ先に浮かびました。
今どき、親族と同居している家庭がどれくらいあるのでしょうか?
そしてまた、この頃は、公的施設を使うより前に私的ネットワークを活用せよ!という社会福祉に対する考え方があったのだな、ということもわかりました。
とはいえ、児童福祉法は昭和22年、児童福祉法施行令は昭和23年にできたものです。
その当時は戦後間もなく、現在のような核家族化、共働き家庭の増加など、どうして想像できたでしょうか。
戦後、男性は働き、女性は家庭を守る、という仕事と家庭の分断により経済復興をプッシュしてきた時代にあっては、まず育児は家庭でするもの、という観念があっても仕方なかったと思います。
法律は、ちょこまか変えることを想定して作られてないし、そもそも、それを作った時には、将来は社会環境がどんな風に変化しているだろうか?なんて考えもしなかったんじゃないでしょうか。
だから、そのことを強く責められない。
しかし、現在、家庭の在り方や働き方、育児中のニーズは変化しました。
法律が作られたころは、社会環境は「変化しない」、または「良くなる」ことが常識であり、前提だったのかもしれません。
でも、今は、「変化する」、もしかしたら「悪化する」ことを前提にして話をしないといけない初めての時代なのかもしれない、と感じます。
昔に作られた法律と現状(今現在の社会環境、暮らす人たちのニーズ、等)って、マッチしてないですよね、じゃあどうしましょうか?という指摘と提案は必要だと思います。
でないと、いつまでも現在困っている人が困ったままになってしまう。
今回、調べていく中で「なぜ保育園に入るためには就労証明書が必要なのか?」という問いに対しては「法律でそう決められているから」という結論が導き出されることがわかりました。
しかし、法律でそうなっていることと、実際のニーズはまた別であることは認識しておかなくてはいけません。
保育園に入園するために就労しなければならない、就労するためには保育園に入れなければならない、というジレンマを抱える状況を作らないためには、どこかを変えていかなければならないのではないでしょうか。
法律…というと、対象が大きすぎると思いますので、何かこう、個人でもできることはないのでしょうか。
悩んでみたいと思います。