こんばんは。
北村ななみです。
「選挙は戦い」と言われます。
決められた人数の枠内に入るために必死でがんばるわけですから、それもそうなのかもな、と思います。
でも、私はそういわれるたびに、ちょっとした違和感を持ちます。
本当に議員さん同士で戦う必要があるのでしょうか?
まちをよくしたい、という気持ちはみなさん共通しているはずです。
そうであれば、選挙期間になればまだしも、平時で戦うことに特に意味はないのではないか、と思います。
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地方自治は、「二元代表制」といわれるしくみをとっています。
二元代表制とは、首長と議員を住民が直接選ぶ制度のこと。
二元代表制をとることによって、首長と議会は対等な立場である、とされています。
そこでの議会の役割は、首長や行政の働きをチェックしたり、自ら条例や政策の提案を行うことです。
しかし、ここで重要なのは、「首長」と対等なのは「議会」であるということ。
「議員」が首長と対等なわけではありません。
だから、どれだけ首長の考えに反対していても、それが少数派であれば、「多数決」という決まりの中で、その結論が議会の総意として日の目を見ることはないでしょう。
だからこそ、どのような議論を経てその結論に至ったのか?という合意形成の過程を見ることは重要だと思います。
(議会開催中に委員会や一般質問を見に行ったり、ネット上で会議録を見たりする)
意味のある議論を経て出された結論なのかそうでないのか、私たちがチェックできるのは現時点ではそこしかないからです。
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議論を重ねて、より良い方向にかじを切れるよう動かしていくのが議会の役目であるなら、なおさら平時で戦う必要はないと思います。
また、選挙が「戦い」であることを強調するのは、結局、大切な「話し合う」という仕組みを追いやることになってしまいかねません。
話し合って、意見をすり合わせて、よりベターなものを探っていく、そういう仕組みを育てていかないと、政治の世界は何も変わらないのではないかと思います。
「決められたものに賛成/反対」するだけではなく、より大きな「まちをよくしたい」という観点から考えて、譲り合えるところは譲り合い、NOというべき時はNOと言う、柔軟性のある仕組みができたらいいなあ、と考えています。
なんというか、「戦い」であることをそろそろやめないといけないんじゃないかと思います。
そこで勝負をしている限り、ちっとも合意形成できないし、見ている側としてもあんまりわくわくしません。
勝ちとか負けとか、そういうことを超えて、まち全体が、どうしたらよくなるのかを探っていける仕組みとしての議会であってほしいなあと思います。
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やってみようと飛び込んでみた中で考えた感想でした。
こんな甘ったるいことを言っていたら全然ダメなのかもしれません。
でも、旧来のやり方に疑問を感じて飛び込んだわけですから、違和感を記録しておくのは少なくとも、悪いことではないかな?と思います。
今日は雨でしたが、明日は晴れの予報。
引き続き、私もがんばります。
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先日、ブログに書いた返信の件は、解決いたしました。
そのため、該当の記事は非公開にしました。