お伝えしたいことを書きました。 ―議員説明会のブログ記事掲載にあたって考えたこと。

こんばんは。
北村ななみです。

昨日更新した議員説明会のブログエントリについて、本日、エントリを非公開にするという判断をいたしました。
そこについて、説明させていただきます。

▼なぜ、非公開にしたのか?
ことの発端は、「この内容は、現時点で公開すべきものではない」、という助言をいただいたからです。
それは特に、タイトルにも書いていた「金額」についての部分が大きいです。

その助言をいただいたことが、自身のエントリを見直すきっかけになりました。

私が言及した金額に関しては、まだ、何ら決定されたものではありません。
それをあたかも確定したかのように書いている、そのように受け止められかねないように書いている、ということは、事実を公正に伝えていることにはなりません。

▼ブログを書いた意図
私が昨日ブログを書いたのは、金額が高いか低いか、といったことを話したかったのではありません。
そのお金をもらうことの是非について、より深めた話がしたかったわけでもありません。
金額決定、およびその金額をもらうか否か、というもっと前段の話が置き去りになってはいないか?そこを指摘したい、それが主眼でした。

しかし、私の書き方では、その主眼が、意図しない形で伝わる可能性があることを知りました。
そこは、私がこのエントリを公開する判断をした際には想定に入れていなかった部分です。

その想定していなかった範囲にまで影響を与えかねない、そして想定外の範囲にまで誤解を招きかねない書き方しかできなかったのは、自身の力不足、また勉強不足という部分が大きいです。

自分の見知った範囲で判断し、発言、情報発信していくことが議員としての責務だと思いますが、自身が想定していなかった部分に対する行為について、「そうすべきではない」という助言をいただいたときには、自分が想定していなかった部分に対する指摘は真摯に受け止め、新たな指摘にどのように対処すべきか、自省することが私は必要だと考えました。

私の想定していなかった範囲にいる人たちが、私の行為で不利益を被るとしたら、私はそれを知ったうえでも、同じ行動を取るべきでしょうか?

そこは、その事実を知る前とは違う土台に立って、改めて「判断」をするべきだと私は考えます。
それまでは、知らなかった、考えていなかったけれども、判断する基準の中に入れるべき材料が、新たに一つ増えたことになるのですから。

その新たな「判断」が、過去の判断と異なったのであればその理由はもちろん説明すべきですし、同じ判断をすることになっても、その理由は明言しておくものであることは間違いありません。

▼結論
以上のような考えを持ったうえで、

①金額に関しては、不確定な部分が多いにもかかわらず、あたかも確定されたかのような表記の仕方は誤解を招きかねない、ということは理解する。
②自分が意図したかった「金額決定の可否、金額をもらうか否か、における議論がそもそも不足していること」、については、前回のブログの書き方だと意図しない形で受け取られかねないおそれがあること。

この2つの考えから、私はブログを非公開にする、という判断をしました。

ただ、それは、市民の方に情報を知ってもらわなくていい、ということではありません。

適切な形で情報を公開し、発信していくことは必要です。
でも、今回の件に関しては、その公開の形が適切ではなかったと思います。

私は、昨日の記事を書いたこと、伝えたかった主眼自体には、間違った部分はなかったと思っています。
でも、その書き方が、誤解を招きかねない危うさをもっていることは指摘されて気が付きました。

自分の思いを、このブログという場で一方的に書き連ねることができるのは、「誰かが、その人が反論できない場所」で、好きなことを主張できることにもなりかねません。
それはある種、反撃できない場で一方的に発言できる「暴力性」を有していますし、そこに気づきながら発言を継続することは私の意図するところではないです。

私が理想としていること、それは、議会内でも、対当局でも、話すべきことはきちんと話し合ったうえで、それぞれに了解を取り合いながら是とする方向に向かっていく、それが市民のためになる、常に市民のことを考えたものになっている、そういう議論の場の在り方です。

そこを目指そうと考えているにもかかわらず、誤解が生まれかねないエントリを公開し続けることは、私の是とするものではありません。

以上のような理由から、私は、当該ブログのエントリを非公開にする判断をしました。
この件に関して、また、今回のエントリに関して、ご意見下さる場合は、お手数ですが、コメント欄に記入するのではなく、メールかメッセージにてご連絡いただきますようお願いいたします。

自分の真意を連ねた文章に対し、SNS上で文章によるやり取りのみを行うことは、私の望むものではないことを申し添えて、本日のエントリとさせていただきます。
長らくお読みいただきありがとうございました。

新宮市まち・ひと・しごと創生総合戦略について② ―「結婚・出産・子育ての希望を叶える」ってどんなまちづくり?(働き方と、結婚、出産についての考え方)

こんばんは。
北村ななみです。

書ききれていなかった、創生総合戦略について、「結婚・出産・子育ての希望を叶える」ってどんなまちづくり?」というテーマを今日は書きます。

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先日、まち・ひと・しごと創生総合戦略についての、最後(になるであろう)の議員説明会がありました。
最後の、としたのは、2月19日に行われる総務建設委員会でも再度この話をするからです。
(8人の議員からなる総務建設委員会と、17人の議員全員が参加できる議員説明会は、別のものなのでこうやって書きました。)

自分がこの総合戦略について気になっていたのは、「結婚・出産・子育ての希望を叶える」という文言です。

私は、自分の経験上と、自分の友人・知人といった周囲の状況、社会環境を見て、

「結婚・出産・子育てをしたい」人ばかりが存在するわけではない、ということを強く思っていました。

結婚する/しないはもちろん、何らかの要因で”できない”こともあります。
それは、自然にそうなっているのかもしれないし、社会的な要因であるかもしれません。

出産、子育ても同様です。

する/しない/できない、というのは、主義でもあれば、環境によるものでもあり、成年したら大多数の人が婚姻関係を異性間で結び、子どもを出産し、子育てする、というモデルは、特に近年のように価値観が多様化する中では、様々な形へと変わりつつあります。

自治体が、その維持運営のために、そこに住む人たちに対してこういった政策目標を掲げることは、一方では仕方のないことかもしれません。
ただ、その一方では、「何らかの理由で結婚・出産・子育てをしない/できない」人がいるかもしれない、という視点は必要です。

その視点を取りこぼすことは、そこに住む人の多様性をなくし、個人の選択の自由を狭めることになりかねません。

色々な生き方をする人がいる。

その前提に立ちながら、政策目標を考えることが今の自治体には必要なことではないでしょうか。

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もう一つ、結婚・出産・子育てに関して考えていること。

それは、必ずしも「夫婦単位」で子育てすることを想定して制度を運用しなければならないのか、ということ。

シングル家庭の方もおられます。
何らかの理由で「家庭」を離れて育つ子どももいます。
こういった場合に、制度上の様々な措置は確かにあるかもしれません。

でも、例えば、「両親がいる家庭」にはこういう支援、「シングル家庭」にはこういう支援、と、そこに差を設けるよりも、「単身」でも安心して出産できて、子育てできる、という仕組みを設けることも一考に値するのではないでしょうか。

また、外国の方への対応も大切です。
外国の方の子育て、日常生活について、個別に現状を知る機会がありました。

その現状を見て、外国の方の子育てをどう支援するか、そして、外国の子、ハーフ(※1)の子をどのように社会として受け入れ、「地域に住む子ども」として一緒に育てていけるか。

それを、今すぐ考え、実行に移していかないといけないです。

「多様性」が現に存在する、その中で、個人がどういう「結婚・出産・子育て」の形を選ぶか。

きちんと、選択できる状態に社会環境が整っているか。

必要なのは、そういう選択肢を最初から「ないものにしない」という、制度や社会環境を整備して運営する側の考え方だと思います。

それが必要なのだと発信していきます。

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最近、あまりお会いできていない方、お話しできていない方もおられます。

ただ、今、相談を受けたり、あれもこれもと動く中で、まだ目が向けられていない、光が当たっていないと感じる部分に出くわすことが多々あります。

そこをなんとかしていきたいという気持ちは変わっていないので、今日は自分の考えを述べる部分が多い記述になってしまいました。

今日、私が言いたかったのは、

①結婚・出産・子育ては、する/しない/できない、といった問題を内包しているデリケートな事象であること、その視点を持った政策目標、政策を考えるべきではないか、ということ。
②単身であっても出産・子育てしやすい環境、制度作りが必要なのではないかということ。
③外国の方、(言及はできなかったけど)障がいを持った方に対する結婚・出産・子育てをどのように支援するのかを改めて考える必要があること。

という3つです。

「希望を叶える」という文言には、文句ありません。

個々人の「希望を叶える」ことができる環境づくりに向けて、もっと力を付けたいと思います。

・・参考・・
子ども、産まなくてもいいですか? 自分の意思だけでは決められない苦悩 – ウートピ

※1 今回は、便宜上「ハーフ」という表記を使いました。現在では、「ハーフ」といういい方は差別的である、差別を助長するとも言われており、「ダブル」、「ミックス」といった言い方をすることもあるようですが、この言葉は、日本において日本人と外国人との間に生まれた子を指すもっともなじみがある言葉であると考え、この表記を用いました。