こんばんは。
北村ななみです。
前回に続き、【新宮市議会の課題②】として、私が今後改善していくべきだと考えている課題について書いてみます。
タイトルにもある通り、新宮市議会の課題として二つ目に考えられることが、「市当局と議会との信頼関係のなさを改善」することです。
なぜかと言うと、結論から先に書きますが、この信頼関係のなさを改善しないことには、市政運営における市民の方からの信頼も取り戻せず、それが引いては、新宮市の衰退につながると考えているからです。
まず、「市当局と議会との信頼関係のなさ」について、なぜ、そのような問題意識を持つのかについて書きます。
もともと、議会に入ったときから感じていましたが、先日の臨時議会を経て、改めて、「現在の市当局と新宮市議会との間には信頼関係がない」と感じました。
こう思う要因が、結局は「市当局が、議会に対して必要な説明を必要な時期にしていない」というこれまでの一連の経緯です。
特に、文化複合施設建設において、1棟案にする際の基本設計図面の公表が遅れたこと、国からの交付金上限金額引き下げの打診を公表していなかったことなどは、市民の方の記憶にも強く残っているのではないでしょうか。
もちろん、財政的な負担の見通し、実質的に維持管理費が1.5億円となるのか、といったことも説明が不足し、公表の時期が遅れたことは今更指摘するまでもありません。
今提示した事項は、本来であれば議会に速やかに公表し、議会での議論を経て、しっかりと市民の方にもお示しすべきだったものです。
けれども、そういった行程が飛ばされてしまっている。
これがなぜなのか、という事を考えたときに、市当局と議会との間に「信頼関係がない」ことが原因ではないかと思うに至りました。
私の体感で考えたことですが、市当局は、市が建設を進めたい文化複合施設について、議論の中でこれ以上案を揉まれることを避けたかったのではないかと思っています。
その根本的な考えとしては、「議論になることを避けたい」というものだったのではないでしょうか。
議論になれば、どういった意見が出てくるかわかりません。
交付金の上限金額が引き下げられたことを早いうちから公表していれば、それなら、施設は1棟案でなくてもいいのではないか、場所の選定や、施設のあり方から考え直したほうがいいのではないか、といった意見も出てくるであろうことは予想されます。
そういった、「議論」になることを避けたかったのではないかと考えています。
しかし、その「議論を避ける」ために「必要な説明を必要な時期にしていない」ことが、「当局の説明責任」を全うできないことにつながっており、それが市民の方からの行政不信を強化しているように私には感じられます。
けれども、そうした「当局の説明責任を全うできない」要因となっているのは、行政の手腕や能力だけではない、と私は考えています。
では他にどのような要因があるかと言うと、議会が行政の説明を受ける態度にも要因がある、と私は考えています。
現在の議会は、行政に対し、過度に批判的か、過度に肯定的かのどちらかに二分されてしまっていると私は感じています。
是々非々、という言葉はよく使われますが、この言葉が有効に機能しているとは思いません。
行政に対して、厳しい態度で政策や今後の見通しについて追求することも必要です。
しかし、その姿勢が行政の説明責任を全うさせるために有効に機能するのではなく、市が説明を避けるべきだと判断してしまっている、市の行動を萎縮させる方向に働いてしまっているのではないか、というのが私が危惧しているところです。
そして一方ではそのように厳しすぎる態度があるものの、一方では「行政がやることなんだからやるべきだ」という、理論的な根拠がどこにあるかもわからない状態で行政のしようとすることを全肯定してしまう態度もまた存在します。
その結果、過度に厳しいことを言われる部分に対しては萎縮し、一方で市の行うことを全て受け入れてくれるような態度も存在しているため、行政としては説明すべき部分を丁寧に説明する行動に出ずに、市の考えている方向性を押し通そうという行動に出てしまう。
このような状態を、議会も自ら作り出してしまっているのではないかと考えています。
これが果たして、望ましい状況なのかといえば、全くそうではありません。
本来であれば、説明すべき事項はすべて説明し、議論する材料をすべてテーブルの上に出した状態で、そこから議論を積み重ねて結論を模索していくべきです。
また、それら一連の過程は、市民の方にも分かる形で適時公表されなければなりません。
議論における必要な情報が十分用意されていないことと、適切な議論の過程が経られないこと、議論の過程が市民の方に伝わるように公表できていないことが問題ですから、そこを改善していかなければなりません。
そのための第一歩として、私がより根本的に改善すべきだと考えている課題が、タイトルにもある通り、「市当局と議会との信頼関係のなさを改善」することなのです。
そのために、議会は行政の説明や考えていることに対して、もっとフラットな態度で聞くことが望ましいと考えています。
はじめから賛成・反対、ということではなく、本来の意味での是々非々を実践することが必要です。
また、議論を行うに当たって、前回のブログでも書きましたが、市当局と議会の間でも、どのようなゴール設定を行うか、議論に必要な情報は何か、どの情報を扱うべきか、といった課題設定を議論を通じて探っていくべきだと考えます。
それがひいては市民の方との合意形成にも至る道であり、そのような丁寧な議論を行う土壌を議会側も市に提示していかなければ、今後も、行政の説明は期待したほどにはなされず、再び新たな不信感が市や議会に対しても募るだけです。
市当局と議会における、両者の不信感は根強いものだと感じています。
議会に入ったときから感じていたこの不信感の根強さは、4年たった今、さらに強まっていると感じています。
この状態を改善することなしに、行政の説明責任は果たしきれず、結果的に議会や市民が期待する「説明」は行われず、行政に対して納得感や信頼感を持って私達の生活を任せる、という行為は難しくなってしまいます。
その困難さが、結局は「新宮市での生活しにくさ」、「住みにくさ」につながってしまえば、より住みやすい場所を求めて転出することによる人口流出は避けられません。
そういったシナリオが予見されるために、私はこの現状に強い危惧を覚えます。
今回、市が適切な説明を説明すべき時機に行えていないのは、「市当局と議会との信頼関係のなさ」を原因と考えたのは、両者の信頼関係がもっときちんと構築できていれば、当局側ももっと安心して、議論のための情報提供を行うはずではないか、と考えたからです。
前回の課題意識とも繋がりますが、現在では、市当局も「議論を厭う」姿勢があるように感じています。
現状、市の姿勢は、何か意見を言われることを避け、議論を前に進めるための批判と非難の違いも不明瞭なまま受け止めてしまう状態になっている、と捉えています。
この点を改善するために、前回も少し書きましたが、まずは議会と当局とが丁寧な議論を行うことが重要です。
その議論の蓄積の上に、両者の信頼関係を回復し、市民の方からも「この人たちに任せておこう」、「とはいえ、チェックすべき部分はチェックしよう」というフラットな意識を持っていただくことが望ましいと考えています。
議論をすることは、時間もかかりますし、根気もいります。
けれども、議会は議論を通じて、最終的には市民の方のある程度の納得感を持ってもらい、「合意形成」を行うことにその機能と制度の大きな意味があるのではないでしょうか。
議論ができない議会など、その機能を全うできているとはとても言えません。
本来出すべき情報を出してもらうために、試行錯誤しなければならないこの現状は、気持ちとしては憂いしかありません。
けれども、現状を変えていかなければ「市民にしっかりと情報公開する行政・議会」という、今後期待する行政・議会のあり方に持っていくのは難しいです。
両者の信頼関係の回復や、根拠を持った議論を行うことを常態化するのは、一朝一夕にはできません。
けれども、その必要性を折りに触れ言っていくことは必要です。
その注意喚起がなければ、このままの現状をずっと続けていくことにもなりかねません。
長い時間がかかることだとは承知していますが、市当局と議会との信頼関係を議論を通じて回復し、お互いに、根拠を持った議論を行い合意形成をするという本来の枠組みに戻せるよう、努力していきます。
その結果として、市民の方に納得感、信頼感を持って、市と議会が決めた結論をお伝えしていく、という状態に持っていきたいです。
明日、3月5日(火)10時から、新宮市議会の3月定例会が始まります。
住民投票条例や、来年度の新予算案などの議案が上程される予定です。
お時間の都合がつく方は、ぜひまた傍聴にお越しいただければ幸いです。