壊すの?残すの?活用するの? ―新宮城下町遺跡について①

こんばんは。
北村ななみです。

旧丹鶴小学校跡地から発見された「新宮城下町遺跡」。

この遺跡が発掘された場所が、市が進めている「文化複合施設」を建設する予定地だということはご存知でしょうか。

せっかく発見されたこの遺跡、文化複合施設建設の際には、「壊される」のでしょうか?
それとも、「残される」のでしょうか?

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現段階では、市長は、「文化複合施設(文化ホールと図書館)を建設する」ことは明言しています。
しかし、遺跡に関しては、「施設の設計を変更することで保存の可能性を探る」という話にとどめています。

私の現時点での遺跡に対する考えは、以下です。


①1回目の調査で、鎌倉~室町時代までの発掘を行ったが、この時代で、発掘調査をいったん止める。鎌倉~室町時代部分を埋め戻して保存する。
②それ以外の、1回目調査の未調査分と2回目調査分は、今後、学術研究目的の発掘調査に切り替え、最小限の発掘を何年かかけながら、少しずつ行う。
③城下町遺跡は遺跡公園として整備を考え、新宮城跡と合わせて周辺一帯を新宮市の歴史的景観を体感できる施設にする。
④見送りにされた熊野学センターを再度整備し直すこととし、新宮城跡周辺を熊野学の一大研究拠点にする。
⑤新宮城下町遺跡が、国の史跡指定を受けられるようにする。


熊野が面白い、と感じるのは、京都のように、理論と実践のサイクルを、「今、住んでいる場所」で体感できることだと思います。
遺跡を整備し、一帯を研究拠点とすることで、まず、「熊野学」関連で研究をされている研究者の方に新宮に来てもらいやすい環境を作ります。
そこでの研究成果を観光振興につなげたり、ふるさと教育や生涯学習につなげる、という流れを確立させることが重要だと考えます。

このアイデアの問題点は、
・市民ホール、図書館は、どう整備するのか。(遺跡を現地保存すると、その上に施設は立てられなくなります)→この点については後日のブログで書きます。
・学術目的の発掘調査に切り替えたときに、調査の財源をどう確保するのか。(今は、施設の建設を前提として、国交省から交付金をもらうことになっている)
・遺跡の整備費用に、いくらかかるのか。その財源はどうするのか。

「現地で保存すること」を前提とすると、今までの施設整備の議論や設計など、大部分が白紙に戻されてしまうことは間違いありません。
そのため、今、大きな変更を決断するとなれば、課題はより多くなるでしょう。

しかし、新宮市は「文化奏でる都市」を標榜し、歴史や文化を大切にしていくまちづくりを行うと総合計画で謳っています。
その一方で、遺跡を壊して新たな建物を建てるというのは、歴史や文化を大切にする、という文言と矛盾が生じているのではないでしょうか。
私は、それがまず大きな理念的・政策的な問題点だと捉えています。

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この遺跡をどのように取り扱い、施設建設をどのように進めていくのかは、最終的には「市の判断」になります。
市の判断、というのは、イコール「市長の判断」ということです。

「今、建てないでいつ建てるのか」という文化複合施設の建設の期限にやきもきしている状態のまま、政策判断を行うのではなく、ぜひ、大局的な見地に立ち、遺跡が新宮市で発見された意義を捉えて、それを後世にいかに伝え、どのように新宮市を発展させる礎とするかという理論を練り上げなければなりません。

今、市が何をすべきか決断するためには、根拠に基づいた理論を構築し、遺跡・文化複合施設に対して、どういった論拠の元で「判断」を行うのか、しっかりと「説明責任」を果たしていくことが必要です。

私自身の「どうすべきか」という考えについて、「遺跡」に関するものは本日書いた通りです。
後日、「文化複合施設(ホールと図書館について)」と、「新宮市における遺跡と文化複合施設の意義」についてブログをアップします。
また、これら一連の議論における問題点も、書いていくつもりです。

5/21現地説明会写真
▲写真は5月21日に行われた現地説明会で撮影したものです。

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