ママにならないと、子育てのことはわからない!?

子育て真っ最中!というわけでもなく、結婚もしていない自分がヒアリング活動をしているのは、このブログをお読みの皆様でしたらご存知かと思いますが…
先日、「(あなたは)結婚もしていないし、子どもも育てていないけど、お母さんたちのことがわかるんですか?」という質問を男性の方からいただきました。

それに対する、自分の中で確立した回答があるので、ブログにも書いておこうと思います。

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まず1点目。
「お母さんたちのことがわかるんですか?」という部分に関して。

「わかる」をどう捉えるかにもよりますが…
他者として、また非当事者として結婚の大変さ、子育ての大変さを実感として「わかる」というのは正直難しいと思います。
身体的な経験が伴わないため、体感的に獲得する「わかる」という行為ができないからです。
実際に体験することと、お話を聞くということの間には、やはり溝は存在していると思います。

しかし、ヒアリングさせていただく中で、何らかのエピソードをお聞きし、「それは大変だ…!」、と、共感して理解することはできます。
例えば、小さなお子さんに毎日つきっきりで、子連れでは病院に行ったり買い物をしたりすることも大変であること、なかなか自分一人の時間がないことなどを聞くと、今まで知らなかった子育て中のお母さんの姿が見えてきて、苦労されている部分があるのだ、ということを事実として認識できます。

ですので、この部分に関しては「自身の経験として体感することは難しい、が、話を聞く中で何が大変なのかを認識し、理解することはできる」というのが答えです。

続いて2点目。
「結婚もしていないし、子どもも育てていないけど、」という部分に関してです。

結婚していて子どもを育てていないと、事実としてママの立場になることはできないですが、それって「お母さんたちのことをわかる」ために必要なことなんでしょうか?

結婚していない、子どもを産んでない、育ててもいない、だと、1点目でも述べたように、「お母さん」の気持ちや考え、子育ての大変さは実体験としてはわからないと思います。

けれども、その「わかる/わからない」ということと、当事者だけが子育てや家事育児の大変さについて考えたり何とかしたいと思うことって、全く別物じゃないでしょうか。

結婚・育児をしていない非当事者でも、人の考えや気持ちを聞き、その人の気持ちを想像したり共感したりすることはできるはずです。
わかるひと=当事者、と当てはめてしまうと、結婚していて子どもがいる人しか、お母さんのことはわからず、実際の当事者しか、自分たちの置かれた環境を実感できず、また、何とかすることもできないという構造になってしまわないでしょうか。

私は、問題提起したり、解決に向けて動いたりする人が当事者しかいない、という構造では、当事者と非当事者が分断され、当事者に対する「無関心」を作ってしまっている、と思います。

だからこそ、今までお母さんたちの置かれた環境を何とかしたい、何とかしよう、と考え動いてきたのは当のお母さんたちだったのではないでしょうか。
でも、私はそこにお母さん以外の人も入れてほしいし、お母さん以外の人たちも、お母さんのことについて考えてみてほしいと思います。

私が、なぜヒアリングを始めたかと言えば、地方に暮らす女性の働く環境を整えたい、子育てで大変なことがあれば教えてほしい、解決の糸口を探したい、という気持ちがあったからでした。
というか、目の前に「これは大変そうだな」と感じる誰かがいたら、私だったら「この大変さ、何とかできないかな」と思います。
非当事者であっても、どうしたらその大変さがなくなるか、何が問題なのか、自分にできることはないか考えます。

ですので、この質問に関しては、「結婚出産育児はしていないけど、だからといってお母さんたちの問題を自分ごととしてとらえなくてもいい、という結論にはならなかった」というのが答えです。

余談ですが、病児保育サービスの先駆けでもある認定NPO法人フローレンスの駒崎代表は、まだ結婚していないし子どももいない状態で、しかも男性ですが「病児保育がないこと」で不利益を被っている女性の話を聞き、大学卒業後にNPOを立ち上げ病児保育のサービスを開始しました。

これは一例ですが、自分が当事者ではないことにも共感して自分が行動することって、やっぱりできるんじゃないか?と駒崎さんの活動を見ていると思います。

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さて、私はその質問をされた時、「お母さんの問題」を「お母さん”だけ”の問題」にしてしまってはいけない、という答えを返しました。

お母さんの問題は、お母さんだけじゃなくて、子どもを持ってない人、結婚していない人でも、みんなが考えてもいい問題ではないか、と私は考えています。